届いて初めて…思いやり。

投稿日 : 2018年10月12日

思いやるって何だろう。

人から認められることによって、そこに価値が生まれる。受け取る側がいることによって、初めてそこに認められるもの…。

こういう話になると思い出すのが「思いやり」という言葉です。

裏千家では、会員の集まる行事の際には必ず、最初に皆で合掌して、「ことば」を唱和します。お茶に触れる前に、それぞれの心構えを確認するように。裏千家茶道を習っている方には、おなじみの風景です。

食後のひととき、主人が、この「ことば」の大切さを語ってくれました。唱和を繰り返すうちに、しみじみと大切さを実感したようです。私もそれを聞いて、意味を噛み締めながら言うように…と心掛けています。

その中に、この「思いやり」という言葉が出てきます。

一、他人をあなどることなく、いつも思いやりが先に立つように

いつも思いやりが先に立つというのは、とても短い言葉ですが、実践するのはとても難しいことです。

ついつい、自分がこうしたいから、自分はこうしたくないから…という風に、自分を基準に物事をすすめてしまいがちです。

もしくは、周りがそうするから、なんとなく流されて…という他人任せな選択もあれば、こうすると面倒だからややこしいから、なるべく楽な方に…という消極的な選択をするパターンもよくあります。

そして、実は一番迷惑じゃないかなと思うのが、あなたのことを思って…という選択の仕方です。

こうした方があなたにとっていいだろうから…と、してもらったことが、はた迷惑だったり、余計なお節介だったりしたこと、どなたでも経験があると思います。でも、相手が自分を思ってくれているということが分かるから、なかなか迷惑だとは言い出せない。。。

思いやりは、ときに、思いやってやっているという押し付けがましいものになりがちです。そして、私も、思いやりを押し付けてないかな…とよく振り返ります。

近い関係になればなるほど。例えば、親子関係…兄弟…時には、夫婦でも。

振り返らなきゃと思うキッカケをくれたのは、友人のコトバです。まだ10代の頃、思春期の人間関係で悩む私に、友人が持論を話してくれました。

それは「思いやりは、相手に届いて、あぁ、私のことを思ってしてくれたんだなって受け取ってもらって初めて、思いやりになる」という言葉でした。

友人がどういう気持ちでそういうことを言ったのか、よく分かりませんが、私にとっては忘れられない言葉となって、今もよく思い出します。

家族や、大切な人に、私の思いが届いたとき、それが押し付けがましくなく、思いやりになればいいな。。。相手を思いながら、でも気をつけながら…今日も思いを重ねます。