心を開くということ。
今日付け朝日新聞朝刊の書籍広告中で、「日本の弓術」(オイゲン・へリゲル述)という書籍をジュンク堂の書店員さんが紹介なさっていて、その内容が心に残りました。
著者に向かって弓道の師は、『自分が弓を射るのではなく、矢がただ離れていくのを待ちなさい』と教えます。日本の弓道は矢を的に当てる技術を高めるスポーツではなく、精神的な鍛錬なのです。
紹介した書店員さんが、弓道を修められたかどうかは書いてありません。ですが、こういった文面から禅の思想を学び、「自分の中にぶれない軸ができた」と語っています。
「道」と名のつくものはすべて同じことが言えるでしょう。茶道も然りです。
「精神的な鍛錬」というと、とても厳しい印象を受けますが、実際は「心をといていく」ことだと私は思っています。この「といていく」には、「解いて」「溶いて」「融いて」「梳いて」、それから「問いて」「説いて」など、色々なコトバが当てはめられると思います。
固くなってしまった心をといて自らに向き合い、同時に相客に対しても心を開いて「和する」のが、お茶だと思います。美味しいお菓子とお茶をいただくと、自然とほぐれて和やかな気持ちになるのが、お茶の良いところです。
苦しいことが起きた時ほど、心は固く閉ざされてしまいがちです。閉ざされてしまった心は、他者を思いやることを忘れ、傷つけることすら平気でできるようになってしまいます。それによって傷つけられた人は、さらに心を閉ざしてしまい、これではいつまでたっても「和する」ことなどできません。
苦しい時ほど、心をとかして向き合い、他者へと開けるように。
悲しいことが起きても、みなが開いた自分でいられますように。
小さな茶室より、平和を祈った一碗を。