茶道の型について。

投稿日 : 2019年3月12日

能の「型」に思いを寄せたのには、茶道の「型」について考えていたところだったからかもしれません。

茶道にも「型」があり、一見してなんのために行っているのかわかりにくい所作も、中にはあります。お稽古中には「なぜこのような所作をするのですか」と質問を受けることがよくあります。

大抵の所作には一応の理由があります。「お客様に出す前に、まずは道具を清めている」「茶筅の先が折れていないか確かめている」など、言葉で説明できる場合も少なくありません。

現代の茶道のお稽古場の傾向として、所作一つひとつを説明しながらお稽古をするという傾向があります。ウチでのお稽古もその流れにもれず、なるべく解説しながら行っています。

でも、私自身、説明しながら「実は説明なんていらないのでは」もしくは「説明することで頭で理解しようとしてしまうことは、余計なのではないか」とも思っています。

理屈を先に覚えることによって、所作は一度、頭で理解して咀嚼してから、体の動きに変換されます。本来は、体にそのまま型が入るのが理想のような気がします。

「型」は、数百年の昔に体系だてられた、完成された動作です。洗練され、磨かれた動きであるからこそ、様式美として完成されており、長い歴史の中で守られてきたのだと思います。本来は、その「型」の連なりをただただなぞることこそが、「実」のあるお点前であるはずです。何も考えずに「型」に集中をすることで、自分を溶け込ませることができるのではないでしょうか。

先日、お稽古中に「その所作の中に、利休がいるのです」というコトバを、先生がおっしゃっていました。まさにその通り。わだかまっていたモノが腑に落ちた瞬間でした。

「若い頃に習った先生は、訳も言わずにとにかくこの所作を覚えなさいという教え方で、全然理解できなかった」という方は結構いらっしゃいます。丁寧な説明を伴いながらお稽古をすると、「長年の疑問が解けました!」と喜ばれたりもしますので、今後も解説を加えはしますが…。

頭でっかちにならないように。自分に言い聞かせてバランスをとりながら、今日もお稽古に励みます。