折り返し地点

投稿日 : 2023年5月3日

45歳にもなると、人生の折り返し地点を意識します。こういう実感を、ミッドライフクライシスと一般的には言うのかもしれません。

飯田橋での乗り換えは、何だか心がキュッとなります。

子どもたちはそれぞれ大学生や高校生に成長して、もう親の力を必要としなくなってきました。頼もしくもあり、寂しさもあります。

親たちは亡くなった人もいれば、こちらから手を差し伸べなければならない年頃になって…。切ないけれど、悲しんでいる暇はないというところ。

身近の大切な人たちの訃報が届くことも増えました。人の一生だもの、いつかは訪れる当たり前のこと。アタマでは十分過ぎるほどに理解しているつもりです。

とはいえ、どうしても、やり切れない思いになります。それも仕方のないこと。

せめて、後悔の残らないように、一人ひとりと正面から向き合って、「あの時こうしておけば良かった…」などと思い残すことのないようにしたいです…。したい、というだけで、実際に残る思いはあれども…。


五月になり、お茶室のしつらえは、冬らしい温かな炉から、風炉へと移りました。

初風炉はキリリと新たな気分です。そして掛け軸は何にしようかと悩みます。

今年の初風炉の初稽古は、「日々是好日」を掛けました。

例年開催のこども向けイベント「ふれあいこどもまつり」でも同じことばを掛けました。子どもたちに分かりやすいように、「皆さんの今日という一日が、好い日になりますように」と説明しました。

今年の高校の茶道部、新入生向けのポスター制作を担当してくれたKちゃんも、同じことばを採用してくれて、嬉しい気持ちになりました。

そして、この五月の初稽古。その時とはちょっと違う説明をすることにしました。

私たちが何気なく過ごしている、今日という一日。その一日いちにちは、一つひとつが、かけがえのない一日。

昨日がなければ、今日はない。

今日がなければ、明日は来ない。

そうやって一日いちにちを重ねていくうち、それがいつの間にか積み重なって、暮らしは続いていく。人生は出来上がっていく。

人によっては、積み重ねの中で何かを成し遂げることもできるかもしれない。

成し遂げたことが、大きなことなのか、些末なことなのか…どう値付けされるかは、気にしたところで何にもならないので気にしない方がいいかな。

どちらにしろ、積み重ねたその事実は、誰にも消せない価値があると信じたいです。

私は、一日いちにちを、せめて大切にしたいと思います。

自分が「良い日だった」と思えたり、一緒に過ごした人が「良い日だった」と言ってくれれば、それで充分価値がある。

続いているはずの暮らしは、実は当たり前のことではありません。

今日、突然終わってしまって、明日が来ないということも、もしかしたら…。

いつ何が起きるかは、私の手の内にはありません。お任せするしかない。

当たり前のような今日も、こうして、かけがえのない一日が、終わっていきます。ありがたい一日を確かに身に沁みこませながら。

また確かな明日を、迎えることができますように。。。