社中の先輩・同期の方とのおしゃべりの中で、「年齢を重ねると時間経過が短く感じるのは何故なのか?」ということが話題になりました。
ある方が言うには、「感動することが少なくなるから」とのこと。
数十年もの経験を積むと、日々に起きる大抵の出来事は、既に経験済みのこと。そうすると、心動かされることが少なくなっていく…。
なるほど…そう聞くと納得するところもあります。
でも実は、そう言われてすぐ私の頭に浮かんだ言葉は、以下のもの。
ポップスの本質はデフォルメすること(=余計な要素を排除すること)なのだが、生きれば生きるほど世界に対する解像度がどんどん上がっていってしまい、デフォルメするのが難しくなる
tweet by @aaaaaatanaka 2023/05/09
とある20代のミュージシャンが作詞の難しさをつぶやいたツイートなのですが、「生きれば生きるほど…解像度が上がる」という言葉がとても印象的でした。
彼いわく、
ひとりひとりに長く重たい背景があって、どうしようもなく彼彼女の現在地に流れ着いているという事実が見えてしまうから、その人生に対してくだらないとかつまらない大人だとか口にするのは難しく覚悟が伴うことだ
これらの言葉を読んだ時、私も常日頃から思っていることを端的に表現してくれているなと思いました。
誰かが経験を語るのを聞いた時、自分の経験と重なる部分や、似ている経験からその時の感情を推し量ったりして、自分のことのように共鳴してしまう。
もしくは、全く自分が経験したことのないことを聞いた時、計り知れない感情の動きがそこにはあるだろうと想像して、言葉が出てこなくなってしまう。
周囲の人の人生や物語の人物に、止めどなく共感してしまう心の動きは、歳を重ねるほど増えている気がします。
そういうことも、私にとっては「感動」とか「心動かされる体験」なのだけどな…と思いました。
感動の「頻度」や、心の揺れ動きの「振幅」自体は、さほど変わっていないのではないかしら。
ただ、今まで経験してきたことは、自分が「乗り越えてきた経験」に他なりません。ということは、「乗り越え方」も経験済み。
そういう意味では、揺れ動いた心がやがて静まることを知っているし、傷ついたとしても治し方の方向性を知っている。
「年齢を重ねると、身体の傷も心の傷も治りにくくなる」という言葉も聞くけれど、どうだろう…。そんなに悲観的なことでもないのかなと思います。
さぁて、どんな感動が待っているかな?とワクワクしながら色んな体験に飛び込んで行く…。いつまでも、そんな風でいられたらいいな。