子どもの世界はタイヘン。
小さい頃は、ちびっ子達に大人の理屈が通じる訳もなく、「嫌なものは嫌!」と主張する子が沢山いるのもごもっとも。あの子とは遊びたくない!と”のけ者”にされた時、「どうして?」と聞いたって何の意味もありません。
小学校低学年くらいだって、いたずらやちょっとしたイジメは日常茶飯事で、「あの時こんなことがあったから」などと一応の理由はあったりしますが、大人が納得できる理由があることなんて、そうそうありません。子どもって理不尽そのものです。
ウチの子が仲間外れにされて…って悩んでるママの話、時々耳にします。そんな時、どういう風に対処していますか?
仲間外れにされて悲しんでいる我が子を前に、ママが憤慨していたり、他のお友達を探そうとオロオロしていたりなんてケースも見かけます。
ウチの子も、仲間外れや軽いイジメにあったこと、ありました。
その時は、慌てて何とかしようとしたり、ましてや子ども同士のことに大人が介入するのはやめて、まずは我が子と一緒に悲しみました。「そっかー…。悲しかったねー…」って。
子どもが、まずは「悲しい」「寂しい」という自分の気持ちに向き合ってもらえたら、と。こういう気持ちになるのは嫌だなって、気がついてくれるかな、なんて。嫌だなって思えば、自分はそういうことをしないでいてくれるかな、なぁんて。
そして、お母さんが「そうかそうか」と気持ちを受け止めてくれたら、「味方になってくれる人がいる」って心強く思ってくれるかなというのが、私のかすかな希望でした。
自分の気持ちに向き合った上で、立ち上がる力をつけてくれたらいいな、と。
小学校中学年くらいになった時は、「どうして〇〇ちゃんはそういうことしたんだろうね?」と、相手の気持ちを思いやるように促してみたりもしました。我が子に思い当たるところがあるかもしれないし、原因が無いなら無いで「何か嫌なことでもあったのかな?」「どうして人を悲しませることをするのかな?」って、相手の気持ちに寄り添おうと頭をフル回転させていました。
そうして話しているうちに、子どもは自分なりに、相手を許すことができるようになっていったようです。許せてしまえば、もう心の”わだかまり”は解決済み。自分から他の友達を探したり、一人で他の遊びをしたり、気分を切り替えたら子どもが元気になるのなんて早いものです。
大人になり、社会人になったら、世の中では理不尽なことが沢山起きますものね。子ども時代、すでにいろいろな理不尽なことが起きて、子どもも戦いながら、理不尽への対抗策を学んでいるんですね。
そう考えたら、我が子に対して理不尽なことが起きても、憤慨せずに慌てずに「自分で立ち上がる力をつけるいい機会だな」と思える気がするんですよね。
実際に「立ち上がる力がついているかどうか」は、大人になるまでよくわかりませんけれど。
子育ては人それぞれで、いろいろなやり方がありますものね。あしからず。