2023年4月6日(木)朝日新聞朝刊の”言葉季評”、穂村弘さんのことばが印象に残りました。穂村弘さんの書くものや話すことは、しみじみ好きなんですよね…。
タイトルは【やばくて惹かれる駄目感】
簡単に要約すると
一昨年、妻が通販で5万円のダイヤモンドを買ったといい、しかも1回も身に着けているのを見たことがない。思えば、妻はその頃メンタル的に不調だった。1種の逃避的行動として、無意識に奇妙な逃げ道を求めることがあるのは、わかる気がする。
1日に3回ドトールに行く、味のりを5袋食べてしまう。いずれも大失敗でも致命傷でもないが、小さなダメージの中に危うさの芽が潜んでいる。自分を見失って、やりたいことややるべきことから遠いところで生きてしまう。
底抜けの無益さ、その駄目感には何故か惹かれる。自分だけじゃないんだと思って、もっと見たくなる。 …
あるなー… それ ……
最近は、コスパだけでなく、タイパまで言われるようになってしまいました。
世の中には、効率的で合理的なライフハック情報ばかりが溢れているけれど、実は、そういう有益に見える情報は、自分の人生を豊かにはしてくれないような気がしています。
正直なところ、私はちょっと息苦しい。
同じように漠然とした居心地の悪さを感じている人も多いんじゃないかな。。。
やるべきことそっちのけで余計なことに集中してしまったり…
駄目感を感じる行動をしてしまうことも、しょっちゅうあります。。。
今日も、急にこうやってブログ書き始めてしまったりしているし…(´-﹏-`;)
私が日々の暮らしの中で欠かせないものになっている、茶道と華道──。
効率や合理性でいったら、無駄なものでしかないと思います。
わざわざ、こ汚い古ぼけた茶碗を清潔にして、いちいち面倒な点前をして、お茶を点てる。
時間と手間を掛けて、枝を矯め(ため)たり、茎を切ったり折ったりして、お花を活ける。
どちらも、生きていくためには”不必要”そのものです。
じゃぁなぜやるのか…
「心を強くしたくて、茶道をやりたいんです」と私を訪ねてくる方がいたり…
「ここにいてもいいですか?」と茶室に来てくれる方がいたり…
「おしゃべりが目的で来てるようなものです」という、10年以上通ってくれている方も…
触れたことのない方から見れば、一見無駄に見えるかもしれないですが、従事している者たちにとっては欠かせない暮らしの一部なんです。
一緒に無駄を楽しんでみませんか?